言えないままの言葉


マイガールが、あさって最終回です。ほんと早かった。この二ヶ月。…って、昨日このこと書こうとしたら、あいば×煙草という否が応にも妄想の広がるワードのタッグが飛び込んできたので、すっかりそっちに反応してしまいました。ので、あらためて。


7話くらいから特にかな。マサムネくんが陽子さんのことを想うシーンが、ほんとにだめ。だめっていうのは良くないっていうほうの意味じゃなくて、あいばさんがもうここにはいない人のことを想ってるっていう状況が、気持ちのやわらかいところをぎゅっとつかまれて見てられない。「陽子さんはもういないんだよ」「お前もいつか、他の人のことを好きになる」高ちゃんは正しい、けどきついよね。高ちゃんの言い方がじゃなくて、そういう現実を突きつけられることが。


ずっとぐるぐる考えてて、昨日とつぜんストンって落ちてきたこと。
かつて小学生だったわたしが初めて好きになったアイドルがキンキの光一くんだったのですが、今のわたしは滅多にドル誌であらし以外のページを見ないのに、昨日はめずらしくキンキ2人のインタビューを読んだのですね。そしたら光一くんが「俺は目標とか立てず目の前のことを一生懸命に全力をつくすだけ」っていってて、すごいびっくりした。デジャヴかと思った。それあいばさんの専売特許じゃなかったんだ、って。一方で、わたしは剛くんに昔から今もずっと、親近感を抱いてる。同郷だっていうのもあるし、あの精神の暗さと自由を求める渇望感にはなんとなく共感を覚える。だから剛くんはずっと「こっち側の人」って気がしてる。

自分と近い人を好きになる、という人もいるかもしれない。でもわたしは、自分と対極の人をつい好きになる。光一くんしかり、あいばさんしかり。二人とも心が健やかで、とてもシンプルな思考に基づいて生きてる感じがする。

あいばさんはさ、いまやわたしにとっては性別を超えた憧れの存在なのです。自分が絶対手に入れられないまぶしさを持った人だから。でもマサムネくんは、前にも書いたけど他人とは思えない。それは性格とかそういうことではなくて、本質的な部分、たとえば陽子さんが心の中に住んでいることとか、写真への思いと自分の中途半端さの狭間で思い悩んでるところとか、不器用さとか、気の弱さとか。コハルちゃんが来てからマサムネくんの人生はどんどん回り始めた。だけど、ときどき、ひとりになって陽子さんのことを想うと涙が出そうになったりする。甘い記憶に縛られて、強くも弱くもなるマサムネくん。このドラマで何より幸福だったのは、自分も持ち合わせているその繊細で脆い心情を「あいばさんが演じてくれた」ということ。わたしの憧れのあいばさん、明るさと少しの切なさをまとって生まれてきたようなあいばさんが、繭みたいに何重にも閉じ込めてたあの頃のわたしを救ってくれた気がする。だからそういう個人的な思いもあって、この先あいばさんがどんな役を演じてもマサムネくんは超えられないだろうな、と思う。


言えなかった言葉が、物語を紡ぐ。後になって言うべき言葉が見つかることもある。
来年とかもっと先にこのドラマを観たら、今まだ咀嚼しきれてない気持ちがうまく説明できるようになったりするのかな。