続・彼らの見ている風景


基本的にアルバム通して聴いてるけど、ついついリピートしちゃう曲が3曲あって、T.A.B.O.Oとまじかるそんぐとレミダン。あ、この表記の違いはそれぞれの曲への思いの差です。フォント変えられるならT.A.B.O.Oは高速道路沿いのラブホっぽいやつ、まじかるそんぐはシールみたいな丸ゴシック、レミダンは…思いつかないからまあいいや(手を抜いた)

こないだ「あとで続き書きます」とかいってもう週末になっちゃったんだけど。今日はアルバム全体の印象をメモっておこうかと。以下つれづれ。


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コンセプト厨…ではないと思うし、っていうか、解釈学的になりたくない気持ちが先行するので、なるべく出されたものに対して感覚的に、すき!とかきもちいい!とか思いたいんだけど…それにしてもこのアルバムは破綻しすぎでしょう^^そんなに深刻に頭かかえたりしてないレベルですけど。「僕の見ている風景」ってタイトル、みんなで考えたんだよね。でもわたしには「僕たちが見せたい風景」って感じがする。すごく、ショーの映像が思い浮かびやすい歌が多いっていうか。歌詞が全体的に夢の世界でリアリティがなくて。いや、これまでのアルバムもそうだったのかもしれないけど。いつもあんまり歌詞見ないから…。別にどっちが見たかったというわけではないんだけど、「僕の見ている風景を君にも見せたい」*1 *2っていうコンセプトだと思ってたから、どこまで赤裸裸なサウンドで攻めてくるんだろう!って楽しみにしてたので。

うーんわたしは全然攻めてる感じはしない、大人っぽいなあともあんまり思わない。ゴリゴリかどうかでいったら、リマーカブルを超えられないでしょう。そして幕開け第3章…って感じもしないし。とにかくコンサートの暗転とカラフルなレーザー、スポットライトの光景がすごい浮かぶアルバムだよね。そのなかでEverythingと空高くとSummer Splashのロケ感が突き抜けてる。あーわたしのすきなあらし、というかわたしの思うあらしのまばゆさは、やっぱり屋外なのかも。

でも新しいなーと思うのが、言葉の乗せ方がすごいおもしろい。タブーだとさ、「二回のwink 額とリンク 左を見る“しないの?キス”」でわーーって気持ちがわいて、「蜂の!巣の!奥の!蜜!!」でボムッ!って爆発。いやタブーはいろいろ、おまえのタブーはそんなもんかw とか、文系男子の官能表現に見るエロスの傾向^^とか、これをきっと村尾さんとかぜーろーの人々も聴くんだねnyny とか、言いたいことは膀胱破裂しそうなくらい溜め込んでるけどさ(表現が下品です)、とにかくとにかく、そんなしょうちゃんがすきッ☆ …あれ、そんなとこにおちついたwww

でもレミダンもそう。歌詞の意味とかどうでもよくて。あ、それでいったらじゅんたすソロもリズムがすごい好み、じゅんたすの声に全身包まれてるのが気持ちいい。

部屋で聴いてるのとイヤホンで聴くのと全然感じ違うけど、今日イヤホンで聴いてて、あー涙腺にくるなーとおもったのが、ギフトとむかえに行くよ。むかえに行くよは、すでに半年後くらいの自分がこの曲聴いて、それまで我慢してた何かが決壊してわーわー泣いてるのが予想できる。そういう、日常とリンクして少しずつ成長する曲って感じ。ギフトは…まあ、自分の母よりあいばのかーちゃんのこと考えちゃうよなあもはや。

その、あいばのかーちゃんの息子のソロ曲だけど(ユウくんのじゃないよ)(お約束)、一周していま、好きとかきらいとか飛び越えて、自分のあの曲に対するスタンスがよくわからなくなってきました。聴くたび挙動不審になってたりとか。あの歌こわい。毎日深みにはまってくんだけど。例えていうなら、鏡の迷路って昔遊園地とかにあったでしょ。あんな感じで全部鏡ばりのジャングルビンゴみたいな立体迷路のなかに入っちゃって、どっち行っても行き止まりでどこを向いても楽しそうなあいばが1000人くらい見える、上からはあいばのエフェクトかかった声が降ってくる!みたいな気分なうです。あいばラビリンスまじこわい。出口わかんないんだけど出たい気持ちと出たくない気持ちとが交錯中。まだ語れないわまじかるそんぐ。。。
 

*1:あっグレイだ

*2:余談ですが、これがわたしが北海道に行く理由になった重要な歌詞だったりします